「Gather Raphsody」 (2) Written by Raputa.

次に彼女の目の前にあったのは、視界いっぱいに広がる土くれ。
そこは黄色とも茶色とも黒ともつかない、一見すると無造作に掘られた、ただの地下室の出来そこないのような場所だった。
だが、この場所の「用途」からすれば、決して出来そこないなどではなく、これでもちゃんと「意味」のある部屋なのである。
その「意味」とは、極めて特殊な「作品」を作り上げるための立派な「作業場」としての役割。そしてその材料こそ、今目の前に積み上がっている特殊な「土」なのだ。
そんな特殊な「作業場」であるこの場所で創られるのは――言わば「動く人形」だった。

「ん~? 誰じゃい!!」

土壁と土床の空間を、誰かを探すようにゆっくりと彼女が見廻していると、突然辺りに響き渡る老人の声がした。
狭くはないが、かといって広大でもない静かな部屋に突然鳴り響いたその声は、良く聞こえるのを通り越して耳障りですらあった。
そして直後、彼女は強いアルコールの匂いを感じた。蒸留酒(スピリッツ)の類か。味や香りを楽しむのではなく、ただ酔うための、溺れるための酒。
部屋に入った時からうっすらとその気配は感じていたものの、その臭気の主――そしてこの部屋の主――が口を開いたことで、一気に部屋の空気の酒気が高まったような感じであった。

「こちらにいらっしゃったのですか?」

彼女は奥の方の穴蔵のような場所に近づくと、中を覗き込みながらそう聞いた。
この部屋には大小さまざまな穴があちらこちらに空いている。そして部屋の主は、あちらこちらの穴を移動し、あるいはそのまま眠ったりするのが常だったので、そのどの穴にいるのかを見つけ出すのは彼女ですら容易ではなかった。
だが彼女は声と酒気の源を探り当てることで、今回は容易に部屋の主の居場所を探り当てることが出来た。
彼女の問いに応じて、穴蔵から声が、そして再び更にきつい酒気が上がってきたかと思うと、小さな老人がゆっくりと、穴から顔を出してくる。

「あ、うん? ・・・誰かと思ったらお前さんかい。ひとの睡眠の邪魔をしおって、メイドがわしに一体何の用じゃい!」

目は覚めたものの、未だ見境がついていないのか、老人は目の前の話し相手に向かって必要過多な程の大声で、そう罵倒めいたことを口にした。

「いえ、御主人様のご命令で・・・」

さすがの彼女もその勢いに気圧(けお)されたか、それとも彼の言葉に「別の感情」でも持ったのか――ともあれ彼女は、特に表情は変えずに、そう軽く一言だけ口にした。
だがその途端、部屋の主は、ふえ、といった感じの呆けたような表情をすると、赤ら顔を一気に土色――この老人本来の顔色である――に戻していった。

「まさか、あの『人形』にまだ何か足りないものがあるとでも? い、いくらわしでも、もうあれ以上のものは・・・」

拷問吏ほど露骨ではなかったものの、老人の顔にもまた、正気を通り越した焦りと恐怖の表情が浮かび上がっていた。

「いえ、そういうことではございません。御主人様はあなたの作品の出来に非常に満足していらっしゃいます」

少なくとも今のところは、ですが――とまでは口にしなかったためか、老人の顔は俄かに安堵の表情に変わっていった。
それはただ単に「絶対的な存在の怒り」――もっと端的に言えば「死」――を避けられたという理由よりも、むしろこれ以上極度に神経を磨り減らすような仕事――もっと端的に言えば「死」よりもなお辛い苦行――を避けられたからのようであった。

現在彼女の主人の手元にある「人形」は、稀代の人形師と言われたこの老人でさえ気の遠くなるほどの歳月をかけて製作され、つい最近になってようやく「完成」したものである。
彼女も始終眺めていたわけではないが、その工程は専ら、人形師自身にさえ中々気づかない程のほんの僅かな違い――だがきっと、主人にとっては決定的な違い――を主人が細かく、鋭く、そして神経質に延々と指摘し続け、その度に彼もまた老体に鞭打って微調整の修正をし続けていくものだった。
無論何度となく、彼は過労で倒れる寸前まで行ったのだが、それでも何とか辛抱強く耐え抜いたのは、逆らうことの出来ない主人への恐怖より、むしろより純粋に、主人の情熱にほだされてだったのかもしれない。
というのも、無数のかつ信じられないほどに細かい指摘や命令が主人の口から出たにもかかわらず、そのどれひとつとして無駄な指示はなかったのだ。そして、人形師がその指示通りに「人形」を直していけばいくほど、「人形」はその人間的な美しさを増して行き――ついには人間の域を越え、人形師にすら想像し得なかった美の境地に達していった。
そして、その美が人間の域に止まっていた頃は不平や反抗心も見え隠れしていた人形師の態度も、自分ですら想像もつかなかった美の次元を垣間見る頃にはすっかり改まり、そして彼もまた主人と一緒に、際限なく上り詰める美の境地に酔いしれていったのだった――もっとも、ようやく主人がその「限界」を感じて人形師への指示を止めた時は、彼は精魂ともに文字通り枯れ果て、辛うじてアルコールの力によって一命を取り止めるような状態であったりはしたのだが。

「確かに御主人様はご自分の『人形』については満足していらっしゃいます。・・・ですので、私が承ったのは、その事ではございません。御主人様が仰るには、何時何が起きても良い様に、念の為衛兵用の他の『人形』の準備をしておくように・・・とのことでした」

「あ? ああ、なんだ、そんなことか・・・」

この城は、城と言う割にはとても奇妙な特徴がいくつかあった。
そのひとつが「人間の衛兵」が一切いない事である。
もっとも、この城は城主が絶対的な権限と絶対的な能力を持っているため、衛兵など不要といえば不要だったりするのだが。
もちろん、純粋に手数が欲しい時というのも少なからずあり、その場合には、臨時にあらゆる手段で衛兵を仕立て上げることがあった。
――例えば「人形」も、そのひとつの「手段」だった。

「でも何故、わざわざそんな事を?」

そう言いながらも、老人の顔には幾分かの影が入る。
時々訪れる純粋に手数が欲しい場面――特に彼の「人形」が必要になる場合というのは、ほぼその「目的」が限られていたからである。
もちろんそれは戦争である――それも限りなく殲滅に近い形の。
外見がいくら人間に近くても、それでも「人形」は「人形」である。単純に物理的能力で上回るだけでなく、それこそ身体を完全に潰されない限り、痛がることも疲れることもなく「人形」は動き続ける――それも、人形師の意のままに。
それが少なからぬ興奮と快楽を感じる行為であることは分かってはいたものの、やはり彼にも幾ばくかの人間の心というものが残っていた。

「まもなくお客様がお見えになられる、とのことですから。『仕掛け』は多いに越した事はない・・・御主人様はそう仰っておりました」

「客? 誰じゃそれは?」

「さぁ・・・私も詳しい事は存じておりません。とにかく皆の者で盛大にお迎えせよとのことです」

ことこの点については、別にとぼけているわけでも、ましてウソをついているわけでもなかった。
何せ彼女でさえもそれ以上詳しくは聞かされていないのである。主人がそれ以上話そうとしないのだから、使用人がそれ以上深入りすることなど無論出来ない事だった。
――もっとも、彼女が指示されたことと、そして何よりその時の主人の微笑から、そのわざわざ「招かれた客」というのがどのような「人物」なのか、おおよその想像がついてはいるのだが。

「はぁ・・? そいつはよっぽどの『大物』のようだな」

まだ釈然としない様子で彼はそう言った。その表情からは、少なくとも只者ではない存在が「客」として訪れるらしい事は分かったものの、はっきりとその「正体」までは想像しかねているといった様子が伺えた。

「とはいえ、城で『出迎える』ために、わしの『人形』達を用意するなどといった無駄な事を何故わざわざやるのかね? 少なくとも城内で騒ぎを起こすのは、あまり好かれぬ御方だったはずじゃが・・・」

「では、御主人様のご命令に従えない、というのですね?」

拷問吏に対する言葉と同様の言葉を人形師に投げかけた。

「・・・そういう訳じゃないがな」

ただ、この人形師はその言葉にはさして動じなかった。彼は拷問吏ほど主人を恐れているわけではなかったし、もとより主人の命令に逆らおうとまでは思っていなかったのだから。
その様子を見た彼女の口にふと笑みが漏れる――あまりに微かなため、果たして人形師が気づいたかどうか。

「この世に無駄なことは何がありましょう、誰が決めましょう・・・少なくとも、私達にとっては主人の命令に従うことは『無駄』ではありますまい」

そう言いながら、彼女はふと、先程拷問吏の口にした「ピアニスト」のことを思い返していた。
身近にいながらも、それでも決定的な「違い」があるが故、決して結ばれぬ相手。
それにも関わらず、口にも出せずに密かに慕いつづける自分――この想いも果たして「無駄」なのだろうか、と。

「・・・わかった。ただしじゃ、わしはわしに出来ることしかせんからな」

その彼女の微妙な表情の変化を察したか、老人はすっかり酔いが覚めたと言う表情で静かにそう呟くと、ゆっくりと作業場へ向けて歩を進めていったのであった。

(つづく)