4.

かなりの時間が経過してからようやく全身から滝のように流れ出ていこうとする気力を必死で食い止め振り絞ったカイルの説得で、ラルクも渋々自分の素性を認めた。ケイとの追いかけっこの間に一瞬浴びてしまった落日の光によってできた左手の火傷が今、既に痕跡さえも残っていないとあっては認めざるを得ない。火傷そのものも、逃げ回っているうちにどこか、何かの拍子で熱源に触ったからだと頑強に主張していたラルクだったが、業を煮やしたカイルに無理やり剥ぎ取られた包帯の下から現れた滑らかな肌に、絶句するより他なかったのである。
「…判った!?」
「……ほんとーーに?」
「だー! 諦め悪いな、あんたも! 現にこーして傷一つ残ってないだろが!!」
思わず怒鳴りつけたカイルは、叱られた子犬のよーな目でじっと見つめ返してくるラルクの視線に、うっ、と言葉を切った。その、弟を黙らせた物悲しげな視線をふっと落とし、ラルクが吐息をつく。
「おっしゃる事は、まあ、理にかなっているとは思うんですが…どうにも信じがたくて…」
「こっ、こっ、こんな立派な牙しとってまだンな事抜かすか、この口はぁぁぁッ!!」
「いひゃい! いひゃいれすぅ!」
ラルクの記憶が戻った時の事なぞ、もう考える余裕のあろーはずがないカイルは、衝動的に兄の両の口の端(は)をつかむや、むにーっと左右に引っ張った。それから、片手を外して自分の口の端も引っ張って見せる。
「ほら、俺にもあるだろが! 自分でも触ってみろっつーの!」
「はあ…」
とはいえ、ようやく放してもらえた頬をさするのが忙しいラルク。
「…それにしても」
「何だよ!?」
「カイルさん、本当に吸血鬼なんですか?」
べこーん!!
一度、床に顔面から激突してからわめき返したカイルの声は、ちょっぴり裏返っていた。
「だから、あんたもそーだっつーてるだろが! 聞いてよ、人の話!!」
「はあ…」
歯切れの悪い返事を返したラルクは、倒れたまま顔だけ上げて懇願するカイルの前に付き合い良くしゃがみ込み、「弟」の顔を見つめた。
「だって、カイルさん優しいじゃないですか。吸血鬼って、もっと冷酷で残忍な魔物なんでしょう?」
「――…自分の事はきれいさっぱり忘れてるくせにどーしてそーゆー事はきっちり憶えてるわけ?」
思い切り拗ねまくったカイルの声音にいらぬ気を回したか、ラルクは慌てて両手を振った。
「あ、別に皮肉を言ったわけじゃないですよ、ホントに。むしろ誉めたつもりなんですけど」
そうして、邪気なく微笑む。
「誰かに優しくできるのは素晴らしい事だと思いますよ。…私もそうであったらいいのですが」
「……」
カイルは、知らず兄の顔を見つめた。
それは確かに「吸血鬼」を評する言葉ではなく。けれどどこか耳心地よくて。たぶんお互いに、遠い昔に憧れたとすら言えるような姿――。
でも、と、カイルの脳裏に一人凛と立つラルクの姿がよぎる。完璧な美貌と他者を寄せ付けぬ気品と威圧感をまとった、孤高にして気高い吸血鬼。誰もが感嘆のため息とともに我が身への落胆の吐息を洩らさずにはいられない、あの兄の姿が。
「――やめて…」
くれないか、と言いかけ体を起こしかけたカイルの機先を制して、再びラルクが口を開いた。
「少なくとも、『すっげー自信家で冷淡で人を見下しまくっているよーな奴で、実際実力もムカつくぐらいあるから始末に終えないしずけずけ嫌な事ばーっか言うし他人ん家を他人ん家とこれっぽっちも思ってないし』な人物ではありたくないものです」
ごん!
苦悩のため息は、鈍い激突音にかき消された。
「……あのなあ…!」
せっかく復活しかけたところをくじかれたカイルが――それでもなんとか――、力なく言い返す。
「なんで、そゆ事ゆーかなー?」
「え? だって、あなたがそう教えてくれたじゃないですか。私が『すっげー自信家で冷淡で人を見下しまくっているよー…』」
「いや、いーから! 繰り返さなくていーから!!」
「はあ…」
「――あんた、わざとやってない?」
ジト目でにらまれたラルクが、きょろっ、と目を明後日に逃がした。その頬がかすかに震えている。それを目ざとく見つけたカイルが、がばと上体を起こした。
「あーッ! やっぱりだ、てめーッ!!」
びっ、と指さされ絶叫され、遂にラルクが吹き出す。
「うわ、信じらんねー!! 状況判ってやってんのか、こらッ!」
「す…、すい、ま…せ…!」
なんぼ素直に謝られたとて、必死で笑いをこらえ肩まで震わされているとあっては引き下がれない。が。
「てめー、ふざけん……!」
怒鳴り声は自らの笑いにかき消えた。ラルクもたまらずその場に尻餅をつくと、声を上げて笑い出す。そして兄弟は、そろって大口開けて笑い転げる、とゆー、実に稀有な光景を繰り広げたのであった。
そして、それが治まりかけた頃。
「――…私、ホントに吸血鬼なんですかねえ?」
がん!
…ねばーえんでぃんぐ。

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