「あーもー…あの二人、いつまでやってんのかなーっ」
 呆れた声はケイのもの。結局、昨夜は二人の仲は何も進展しないまま朝が来て、皆揃って部屋へと帰った。そして四日目の夜が来て、ラルクはシェルとなんとか会話しようと努めているのだが…
「あの…シェルさん」
「はい、何か?」
「雪…綺麗ですね」
「ええ、本当に」
 …さっきから、この会話の繰り返しなのである。このラルクはどうも純真で恥ずかしがりすぎるきらいがあるらしく、想い人の女性とは一言二言の会話しか出来ないらしいのだ。ケイは、そんなラルクに鳥肌が立つほどの気味の悪さを感じて、ぶるぶると震えた。
(…どーかラルクが早く元に戻りますよーに)
 いつもケイの大事なカイルをいじめて遊んでは去ってゆくラルクだが、何度も助けられたことだってあるし、何より、
(あんなラルクよりは、カイルやあたしにいじわりばっかり言うラルクのがまだマシだよ~)
 と溜め息。隣にいるカイルをちょんちょんと突ついて囁いた。
「ねー…ほんとにだいじょぶかなぁ?」
「…きのう」
「え?」
「兄貴が押しかけてきてさ…日の当たらないあの地下室で、ずーっと相手させられたんだぜ…」
 そういえば、カイルにはいつもの覇気がない。頬もげっそりとし、瞳も僅かに充血している。
「もしかして…寝てないの?」
5
「…告白の予行練習でシェルの役やらされたんだぞっ! それも二百回も! 寝ようとすると、服の裾を握り締めて放さないんだよ…」
「うっあ~」
 さすがにかける言葉も見つからず、ケイはそう言ったきり黙ってしまう。窓辺で雪を見ている二人は、ようやっと、少しだけ会話が進んだようだ。
「シェルさんのお好きだったわたしは…どんな方だったんですか?」
「ラルクは、とっても優しい人なの」
「そ…そうなんですか…」
 シェルが頬を染めて答えたことに落ち込みのオーラを隠すこともせず、ラルクは曖昧な返事を返した。
「ちょっと失礼します」
 というなりこちらへと足早に…
「だからッ! 落ち込むなら最初から訊くな! つーか、何かあるたびにおれのところに泣きつきにくるのはやめろーッ!」
 カイルの絶叫が部屋にこだまする。しかし、ラルクはそれを恐れることなくカイルにしがみついた。
「そんなこと言わないでくださいっ! カイルさんに見捨てられたら、わたしはどーすればいいんですかっ!?」
「知るかーっ!」
 泣き叫ぶカイル。ケイは、そんなラルクを見てまた鳥肌を立てたが、こんなことばかりしていては埒があかない、とカイルを突っついた。
「ね、カイル? せめて、お見合い、みたいな形にしたらどーかなー?」
「お見合いだぁ?」
「うん、だって、あと二日っていったって、明日はもうシェル帰っちゃうんでしょ? …ってことは、今日だめだったらもう…」
「それだけはイヤだ…」
「でしょう? だから…」
 うう、と呻いてラルクを見れば、手を貸してくれるのか、と期待で瞳をきらきらと光らせている。
(…うげ)
 まさか、兄のこんな眼差しを直視する日がやってこようとは。
「しゃーないなー…やってみるか…」
 カイルはラルクから思いっきり顔を背けつつ、溜め息をついて、ケイの案を採用することに同意した。

「えーっと…シェルさんはどんな方かというと…あの、自己中心的で化け物並みに強くて、しかもそのせいでとても手には負えないくらいに好き放題ばっかりして、弟のおれに散々迷惑をかけるような兄を奇特にも『優しい』と表現した素晴らしい…」
「カイルっ! ちょっとそれ変だよっ!」
 ラルクの隣にはカイル、シェルの隣にはケイが座り、二人が向かい合うようにして席につかせると、カイルがラルクにシェルの紹介を始めた。もっとも、カイルにお見合いの経験があるわけでもない、ケイだってそうだ。自然、それらしく演出するというのはほとんど無理だったが、それでも何とか形だけは取り繕うことが出来たようだった。
 …が、カイルが読み上げるその紹介文のおかしさにケイに突っ込みを入れられる。カイルはむすっとして、早口に続きを言った。
「とにかくっ! そういうわけで…」
 ケイは適当なことをぺらぺらと喋るカイルの声を聞き流しつつ、そっと隣のシェルを盗み見た。彼女は相変わらずにこにこしている。いつものシェル。それは、ラルクが記憶喪失になってしまったというのに、何も変わらない――― ケイは、そういえば、シェルは昨日からずっとこうだった、と思い出した。
(でも…どうして?)
 浮かんだ疑問は消せるものではなく、気がつくとケイは、カイルの話の腰を折る形で、シェルに問いかけていた。
「シェル? どうして…どうしてそんなににこにこ笑っていられるの? もうラルクには…あのラルクには逢えないかも知れないのに?」
 その言葉に、ようやくその不自然さに気がついたカイルも、ラルクも、はっとしてシェルに目を向けた。
「だって…」
 しかし、そのケイの質問に動じることなく、シェルはいつもの穏やかな調子で言った。
「たとえ記憶を失くしたって、ラルクはラルクだもの。わたしの大切な、世界で一番優しい吸血鬼…」
 遠くを見るような、愛しさの溢れる眼差しでラルクを見つめる。
「それって…」
「…つまり…」
「こんなことをやる必要なんて…」
「…最初からなかったってこと!?」
 カイルとケイはあんぐりと口を開けた。
(そんな…! それじゃあ今までの苦労はいったい…!?)
 そんな二人を横目に、シェルはラルクにふわっと微笑みかけた。